JOFセミナーシリーズ2025 第3回 開催レポート

岩田有弘先生講演

開催概要

育成セミナー中間発表
座長・佐藤 長幸(JOF歯科医師)
会員発表
岩田 有弘(岩田有弘歯科医院)
再評価1までに患者さんとシェアしておきたい!
修復治療・歯内治療の目の付けどころ
田中 利典(JOF理事)
治療が終わった!メンテナンスプログラムの設計

・JOF会員は敬称を省略しております


フォトレポート

◉会員発表
岩田 有弘先生(岩田有弘歯科医院・東京都中央区)

岩田有弘先生講演

保険に縛られない「歯を守る医療」を

「普通の歯医者なんです。でも一つだけ違うのは、開業以来ずっと自費診療しかやっていないことです」 

柔らかな物腰で、ひょうひょうと語り始めた岩田先生。その物腰の軽さとは裏腹に、開業から16年間、自身の信念の元、保険診療を一切行わず、自由診療のみを選択し続けてきた事実が、会場の空気を一変させます。その言葉には「理想主義」ではなく、「意志を貫徹した者だけが持つ、独特の軽やかさ」がありました。

大学院で研究に没頭する日々を送る中、アルバイト先で見た臨床の現場には、どうしても受け入れがたい現実があったといいます。1日100人を診る診療体制、感染対策の欠如、抜髄や抜歯を当然とする治療方針──

「右上の6番を抜歯するときに、“5番と7番も神経抜いといてと言われたことがあったんです。なんで? と聞いても答えは返ってこない。それが当たり前の世界でした」

この体験が、岩田先生の臨床哲学の原点になりました。

 

「削らない・抜かない」を学ぶ

医療よりも医業を優先する原体験が、その後の歯科医師人生のバネになりました。

転機は、『歯科医界のブラックジャック』とよばれた京橋のA歯科の谷口清先生との出会いです。「お前が必要なら4時間でも8時間でも予約を取っていい」と言われ、感染対策を徹底し、ファイルもリーマーも使い捨てるという方針のもとで、歯を守る治療を実践する日々が始まりました。

その後、熊谷崇先生のOPセミナーに参加。20年前の口腔内写真と今の写真が「まったく同じ」であることに衝撃を受けます。削らず、抜かず、経過を守り抜く、そのシンプルだが極めて困難な診療哲学を、「完全に真似ることが自分の使命」と決意しました。

 

開業当初、電話が鳴らない日々

2009年、日本橋で開業。感染対策を徹底し、予防中心の診療を志して始めましたが、最初の数ヶ月は想像を超える静けさでした。

1週間、電話が一本も鳴らないことがありました。朝、白衣に袖を通しても患者がいない。その静けさが、音のように心に響くんです」

理想と現実の狭間で、運転資金は目に見えて減り、「このままだと半年で尽きる」という現実が目の前に迫りました。「お金に余裕がなくなると、人の余裕もなくなる。自分でも驚くほど怒りっぽくなっていました」

岩田有弘先生講演

スタッフ全員で映画館へ

患者が来ない日が続くと、医院全体の空気が淀んでいきました。「誰のせいでもないのに、みんなが悪いような雰囲気になってしまう」

そんなある日、岩田先生は思い立ちます。「もう、今日はみんなで映画に行こう」

午後の診療を閉め、スタッフ全員で映画館へ。何を観たかは誰も覚えていないが、「あの日の空気だけは忘れられない」と岩田先生は笑います。

「そのあと、スタッフともう一回がんばろうって自然に言葉が出ました。それで、医院が少し動き始めたんです」

柔和な表情で、苦難の過去をユーモラスに語る岩田先生。たった一度の脱線が、強面な理想論ではなく、チームで笑い直す人間的な力によって理念を支え直すきっかけになったのです。

 

理念は「正しいと思うことをやり続けること」

「自費一本では続かない」と誰もが言いました。だが、岩田先生は首を横に振ります。「自分が受けたくない治療を、患者に提供することだけはできませんでした」

その信念のもと、感染対策には開業当初から妥協がありません。軟水装置・純水システム・クラスBオートクレーブ・過酸化水素洗浄、80℃10分の熱水洗濯──

「滅菌はお金ではなく、良心の問題。見えない部分に手を抜かないことが、最終的に患者の信頼になるんです」

 

初診4時間、「聴く」ことから始める

初診料は11万円。その時間の多くは、検査よりも聴くことに費やされます。「右が痛いのに左を削られた」「説明もなく抜かれた」──そうした心の傷を抱える患者が多いからです。

1人の患者に4時間、13人しか診ない。それでも岩田先生は言います。

「時間をかけることが、一番の予防です。歯を削るより、信頼を積み重ねる方がずっと難しい」

岩田有弘先生講演

スタッフと共に積み上げた16

現在、歯科衛生士は7名(うち3名は認定衛生士)。「私より衛生士の方が忙しいですよ」と笑います。初回は4時間、以降も23時間のメンテナンス。

歯科衛生士一人ひとりが、患者の生活背景やリスクを読み取りながら支援します。PCRBOPなどの数値を、患者ごとに経年的に記録し、チームで共有。治療の結果ではなく過程を可視化しています。

「数字の裏に、患者さんの物語があります。数字を信じることは、患者を信じることなんです」

 

継続率が示す「信頼の証」

16年間でカルテ583件。数は多くないが、10年以上通う患者の歯の喪失は平均0.3本/年以下。根管治療成功率は約90%。

これらのデータは、「削らない・抜かない・再治療を減らす」という哲学の実証です。

「患者が歯を失わないということは、私たちの関係が途切れていないということ。信頼は、数値で見えるんです」

 

理念は「耐える力」

岩田先生は、講演の最後にこう語りました。

「理念って、きれいな言葉ではなく、耐える力なんです。続けることが何より難しい。でも、それを続けることでしか、信頼は育たないんです」

淡々と、しかし本質を射抜くこの言葉。孤独も苦悩も経て、その先にたどり着いた「ひょうひょうとした哲学」こそが、メディカルトリートメントモデル(MTM)の真髄を物語っていました。

岩田有弘先生講演

見えないところに、医療の真実がある

岩田先生の16年は、「理想を守ることは、続けること」という実践そのものでした。

患者の目には見えない努力。数値には表れない誠実さ。

その積み重ねが、やがて信頼という形で可視化される。「見えないところに誠実であること。それが、最終的に信頼という形で見えるんです」

「理念を貫く」とは、科学的根拠(サイエンス)に裏打ちされた良心(ヒューマニズム)を継続させる、MTMの実践そのものでした。

科学に裏打ちされた良心の医療──。その姿勢こそが、オーラルフィジシャンの出発点であり、到達点でもあります。

 

構成・文:JOF事務局・伊藤